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会長ご挨拶

会長
垣花 兼一(かきのはな けんいち)
出身地:沖縄県宮古島

私には黒糖しかできません、黒糖しかやりません

 

それは私の生まれた宮古島は一面サトウキビ畑でサトウキビに囲まれて育ったからです。

部落の周りはサトウキビ畑で、幼いころは大人たちがサトウキビの刈り取りをしているそばでサトウキビの枯葉にもぐり込んで寝ていました、北風を防いで温かったのです。

学校に通う通学路の両側もすべてサトウキビ畑でサトウキビの成長を見ながら成長しました.サトウキビをかじって空腹を癒したり,通学路の途中には製糖工場があり、サトウキビを満載したトラックが列をなしてサトウキビを工場に搬入していました、搬入して山積みになったサトウキビを大型クレーンが掴んで圧搾機に投入していました。

 

冬の製糖期は宮古島で最も活気のある季節でした島中が活気にあふれていました。工場から風に流されてくるサトウキビの煮詰める匂いを嗅いで通学しながら大人になったら製糖工場で働きたいなーと思っていました、毎日砂糖が食べれるとの単純な理由でした。

 

小学校のころは友達と製糖工場に忍び込んで砂糖をぬすんで大人に隠れて食べたり、製糖工場から鉄屑をこっそり拾い集めて鉄屑屋に売ってこずかいにして1¢のアイスキャンデーを買って食べるのが楽しみでした子供にとっては唯一の現金収入でした。中学生になると大人と同じようにサトウキビの刈り取りをしました、サトウキビの刈り取りは重労働でしたが大人と同じように仕事をしているとの満足感を感じて充実してました、きれいに刈り取って畑を大人と一緒にお茶を飲みながら眺めて達成感を感じていました、サトウキビの刈り取りでときどきは1日1ドルこずかいが貰えました(当時は1$360円)、1ドルあればバスで町に行って映画を見て沖縄そばとぜんざいを食べて遊べました子供にとっては1ドルは大金でした、1ドル札を握りしめて町に出かけたのが楽しい思い出でです。毎日毎日がサトウキビでした。私の子供時代は生活のすべてがサトウキビと結びついていました、そのような子供時代を過ごした経験で今でも黒糖に強い愛着を感じます。

 

私たちは宮古の多良間島産の黒糖を主原料として黒糖製品を製造加工しています、

なぜ多良間島産の黒糖か?

それは多良間島は宮古諸島のひとつで宮古で育った私には宮古人として多良間島の黒糖には強いおもいを感じます、

また父が多良間島の出身でいとこが多良間島でサトウキビを栽培していて年間200トンを栽培しています、

そのようなことで多良間島の黒糖にはひとかたならぬ想いがあります。また多良間島は沖縄で最大の黒糖の産地で全体の約44%を多良間島で生産しています、安定供給に多良間島の黒糖が欠かせません。

 

私たちは沖縄の黒糖にこだわった商品開発を通して、全国に品質の高い黒糖製品を自信を持って提供できるシステムを構築して、社員が楽しく仕事ができる環境を整備して、素直で真面目な明るい社風を作り、整理、整頓、清掃、清潔、言葉使い、身だしなみ等の基本を大切に企業文化を形成できる会社にしたいと思います。